大学生時代、ブラスバンドでクラリネット奏者でありながら、全体のオーケストレーションまで担当する程、音楽と深く係わりを持つ。
その後、一般企業での社会人生活を送る中、ミュージカルやオペラアリアを聴く機会に触れ、クラシカルな声を学び始める。
カウンターテノールを追求し、独自の歌唱スタイルを築き上げ、本格的に音楽の道を歩み始めた。
3オクターブの声域を駆使し、美しいハイトーンを取り入れたオリジナルのポップスを展開。
遅咲きの奇才ボーカリストに今、注目が集まっている。
イザナギTaROは男性ボーカルなので男性の歌を歌うのは当然で、話し声はもちろん男声。
初めて歌を聴くお客さんは当然のように男性ボーカルの声質であると待ち構える、…でも違う。
ソプラノかアルトのように高い透明な声が出てくる…
一瞬、お客さんの心は動く。
でもカウンターテナーのシンガーなんだと思って聴いていると…今度は男性ボーカルの強い歌声がやってくるのだ。
そこで、サプライズ感が訪れ、広域な歌声に酔いしれることになる。
5線譜を超越した2つの歌声。
それがイザナギTaROの歌のスタイルである。
世界でも希有なシンガーである。
1959年3月。秀吉で有名な名古屋市中村区で誕生。
3歳の頃母と死別、その後親類を渡り歩くも最終的には養護施設で暮らすことに。
5歳になった頃、母がわりのおばさんが泣きながらずっと施設の前で見送ってくれたことをイザナギTaROは忘れられないと言う。
施設ではしっかりとした毎日の日課の中、沢山の父母のいない子供達と暮らした。
自分よりも年下の子の世話も日課。
やさしい子、荒ぶる子、親切な子、泣き虫の子、多くの親のいない子供達。
元気で明日をも知れぬ中でも皆屈託のない心を持っていた。
そんな中、イザナギTaROには里親がみつかり施設を離れ幸せなことに今の父母に育てられることに。
イザナギTaROにとって実の子同然に、愛情いっぱいに育ててくれた人生の恩人である。
この時小学校1年生。それから年齢を重ねるごとに人の愛や人生の不思議さを強く感じるようになる。
イザナギTaROは自分は恵まれている、それを感じさせてくれるたくさんの人がくれた愛情は感謝をし尽くしても足りないぐらい尊いものだと思っていると言う。
元々はIT業界のシステムエンジニアでもあり、たくさんの著書があるイザナギTaRO。
現在は音楽アーティストという顔の他に“一角太郎”という、その業界では名の通ったファイナンシャルコンサルタントという顔も持ち、たくさんのファンを持っている。
少しでもこの世界を知る人なら、この名前を知っている人は少なくない。
音楽アーティストであり、実に不思議な2つの顔を持つ人物としても注目される。
イザナギTaROは、夢を実現していくことに年齢は関係ないと言う。
若いとか年寄りという表現も現代では時代おくれで関係なくなりつつあるとも。
ただ50歳という節目を考えると1世紀の半分を生きてるなと自分をほめてあげたいとも思うらしい。
人間の体は神様からの借り物という言葉があるけれど、そうだったら借り物が元気なうちに思う存分使ってあげることが一番良いことなんだと考え、彼は50歳にして、またひとつの夢に向かって走り出した。
1歩踏み出すこと、それを音楽の場で彼は挑戦し実現していく。
そして50歳になったイザナギTaROは公言する
「これからは、僕らの時代だと思う。」と。